4 願書提出 受検
願書を出し、しっかり準備して迎えた2月3日。願書提出のこと、神頼みのこと、受検直前にしたことや心境、試験中の時間配分やハプニングなどを書きます。勉強以外のこともこのホームページを参考にチャレンジしてくれたらうれしいです。
4-1 願書提出
両親ともに仕事で忙しいので、下見もかねて南多摩中等教育学校に願書などの応募書類を取りに行きました。南多摩高校時代から校舎は変わっていないにも関わらず、床がピカピカに磨かれていてきれいでした。「親と一緒ではないけれど書類をもらえるかな」と少し心配しましたが、経営企画室で簡単な説明を受け、茶封筒に入った書類を受け取ることができました。応募書類は、願書、小学校の先生に書いてもらう報告書、受検票(裏に入学考査料の振り込みの控えを貼ります)でした。「自分でできることは自分でやれ!」と父に言われ、入学考査料や切手代、証明写真代などの全ての受検費用をお年玉を使って払いました。書類が入っていた茶封筒に応募書類を入れ、しっかりと封をして切手を貼り、簡易書留で八王子郵便局あてで送りました。
自分だけで願書提出の手続きをする人は少ないと思いますが、僕はやってよかったと思います。それは新たなことを知ることができたからです。切手は「〇〇円分下さい」と言って買うこと。いろいろな金額の切手があるということ。今まで自分で切手を買って郵便物を出したことがなかったので知りませんでした。また、親任せにするのではなく自分で手続きをすることで、自分の行動に責任があることを実感できました。証明写真を撮るのも、そこまで難しくはないので是非自分でやってみてください。受検票が届いたのが意外と遅かったので、何か入れ忘れたのではないかと心配しました。1月の下旬に返信用封筒に入った受検票が届きました。
4-2 試験前
2月3日、適性検査当日、朝はいつも通り5時半に起きました。やたら早く起きて勉強してもあまり効果はないと思い、いつも通りの時刻に起きました。たくさん書いた見直しノートを読んで作文のネタや答案の書き方などを再確認したり、作文の練習に使った父の赤ペンがぎっしり入ったノートを見たりして、今までの勉強は決して裏切らないと自己暗示をかけていました。父が少ない時間のほとんどを自分の指導に費やしてくれたこと。くじけそうになった時励ましてくれた母のこと。
福島県矢祭町にある合格さんというお地蔵様にお祈りをしたこと。
弘法大師ゆかりの善通寺で合格祈願のろうそくを燃やしたこと。
色々なことを思い出しながら筆記用具と見直しノートと受検票と御守り(八王子市の多賀神社のものと山口県萩市の松陰神社のもの)を準備し、朝ごはんを平らげてから元気よく家を出発しました。
受検する教室にはいったのは集合時間の8時半ぴったりだったのですが、他の受検生はみんな席についていて僕をジロジロ見てきました。良い気分ではないので、当日は集合時間の10分前には教室に入ったほうがいいと思います。検査開始が迫るにつれ、緊張も高まっていきました。それでもトイレに行ったり深呼吸をしたりして心を静めて検査開始の合図を待ちました。
4-3 試験中
とにかく得点を積み重ねることを意識して、見直しノートに書いたことを思い出しながら一つ一つの問題を丁寧に解いていきました。
適性検査Ⅰ
読解問題2つを10分ほどで書き上げ、作文問題に取り組みました。設問文を読み終えると「もらったぁ!」と心の中で叫びました。この問題なら70点中55点は取れると確信しました。なぜなら前日1つだけ書いた作文と同じようなテーマだったからです。構成を手早くメモしてから、本文を書きました。25分ほどで作文を書き終わったのでたっぷり見直しができ、自信のなかった読解問題もしっかり考えて納得できる答案が書けました。
適性検査Ⅱ
緊張のせいか、得意の算数分野であわててしまい、10分の予定だったのが20分もかかってしまいました。「これはまずいな」と少しヒヤリとしました。それでも、すべての問題を解かなくても取り組んだ問題がすべて丸をもらえれば合格できると思いなおし、時間のかかる社会分野の計算問題を飛ばして、残っている記述問題2問を5分で書き上げました。社会分野を鍛えてきた努力が実りました。最後の理科分野は、20分を費やしてじっくり確実に40点もらえるように答案を書いていきました。適性検査Ⅰと適性検査Ⅱそれぞれ70点ずつ取れたと思い、合格を確信しました。適性検査Ⅱはペース配分に成功しました。それは日ごろからスピードを意識して勉強していたことと模試のときペース配分を考えながら問題を解いていく練習をしておいたからだと思います。日能研の全国テストで一度だけ時間配分を間違え、解ける問題に取り組めなかった経験があるので、ペース配分だけは決して間違えないように心がけていました。